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咲くやこの花

仮名序
◆ ◆ おほささきのみかどをそへたてまつれるうた
難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花
王仁 ◆ ◆
古今和歌集 仮名序 より

::: 読み :::

なにはづに さくやこのはな ふゆごもり いまははるべと さくやこのはな

::: 意訳 :::

難波津に、咲いたよこの花が。冬の間は籠って寒さを耐えていたけれど、今はもう春になったので、咲いたよこの花が

Kanajo この歌は、古今和歌集の仮名序の中で紀貫之が紹介していて、 百済から日本に渡来し儒教や漢字を伝えたという王仁(わに、生没年不詳)仁徳天皇の即位を称えて詠んだものとつたえられているわね。

Manajo 現代ではかるたの会の始まりを知らせる時に詠んでるよね。
Kanajo_2 へぇ~。よく知ってるわね。
百人一首に含まれているわけではないけれど、歌人の佐佐木信綱が序歌に選定したとされていて、現代に引き継がれて、全日本かるた協会の大会の時に一番最初に詠まれているわね。
『日本書紀』 によると、王仁は百済王の学者の推薦を受け、応神天皇の招待に従って応神16年2月(285年)に百済から渡来し、後に帰化した学者で、儒教や漢字を伝えたとされてるわね。
古今和歌集仮名序によると 「難波津の歌は、帝の御初め也。おほさざきの帝の難波津にて皇子ときこえける時、東宮をたがひに譲りて、位につき給はで、 三年になりにければ、王仁といふ人のいぶかり思ひてよみて奉りける歌也」
つまり、応神天皇の崩御後、二人の皇子が互いに天皇の位を譲り合ったため 3年間空位となっていたのだけれど、 大雀命(おおさざきのみこと) が仁徳天皇となった際にその治世の繁栄を願って詠んだと言う事よ。その際に梅花にこの和歌を添えて、奉ったと伝えられていて、 「この花は梅のはなをいふなるべし」 と。
Manajo_2 この時代は花と言えばよりもだったのね。
Kanajo_3 平安時代以降は難波津の歌は誰でも知っている歌の代名詞となって江戸時代には手習いの手本の代表となってるわね。